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中山製鋼所の新しい100年の幕明け

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箱守 一昭 代表取締役会長
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内藤 伸彦 代表取締役社長
感慨深き鉄鋼業界と中山製鋼所の45年ストーリー

箱守
6月26日の株主総会およびその後の取締役会の決議により、内藤伸彦が代表取締役社長に、箱守一昭が代表取締役会長に就任しました。

内藤
非常に大事な8年間を社長として舵取りいただき、誠に感謝しています。引き続き、会長として経営を支えていただけることを心強く思っています。

箱守
私は2017年に社長に就任しましたが、それまでの中山製鋼所を振り返ると非常に感慨深いものがあります。入社した1980年は、オイルショック後の景気回復期で、日本の粗鋼生産量が1億1千万トン以上ありました。当社は1975年に大型投資で転炉工場を新設して高炉・転炉での生産に切り替え、生産性もコストも大幅に改善され、非常に好調に1980年代を過ごしました。当時の中山製鋼所は日本で最初に条鋼と鋼板用すべて連続鋳機で鋼片を製造する設備をつくり、その翌年には最新鋭の棒線の圧延設備を導入、技術革新にも積極的でした。
1991年には能力拡大のため、今も稼働する直流電気炉を導入し、最も多い時期で年間220万トン、現在の約2倍の生産がありました。その後、バブル崩壊、円高不況などで国内市場が停滞し、中国の鉄鋼メーカーが急成長してきました。当社では、2000年に新しい熱延工場が稼働し、生産体制が整ったのですが、高炉・転炉設備は老朽化が進み、更新が必要な時期にきていました。また、それまで業界全体で共同調達していた鉄鉱石、石炭を各企業が個別調達する仕組みに切り替わり、大量に調達する大手メーカーはメリットが大きかったのですが、私たち中堅メーカーは、調達で競争力を示すことが難しくなりました。
業界としても粗鋼生産量を減らし、量より質に転換すべきという流れがあり、当社は2002年に新たな大規模投資で高炉をつくることを断念し、高炉・転炉を閉じるという非常に厳しい決断をしました。それ以降は、現在の日本製鉄株式会社の鋼片供給や技術協力などを受け、技術を磨いてきたのですが、競争力の維持向上がかなわず、2013年に事業再生を申請しました。当時は鉄鋼産業全体が厳しい時代で、当社だけでなく、国内のほとんどのメーカーが大規模な合理化を経験しました。
前任の森田社長が事業再生計画を3年間でほぼ完了され、私がその後を引き継ぎました。固定費を低く抑えながら、構造用棒線や電気炉鋼板、細粒鋼などの技術の強みを活用し経営基盤は改善してきましたが、やはり、鉄源を外部調達に頼っていることで安定的なコスト競争力を確保できず、経営上の大きな課題でした。 2020年代に入ると、世の中の価値観が大きく変わりました。かつて、高炉・転炉方式は、一度大きな投資を行えば高品質の鋼材を大量に安くつくることができる最良の方法でした。しかし、近年はプロセスで発生する大量のCO2が問題となっています。今回の新電気炉プロジェクトは、当社の収益向上を実現し、カーボンニュートラル社会にも役立つという経済性と環境価値を両立するものです。このプロジェクトを遂行することで、当社はやりたいことを自由に選択し、堂々と競争できる鉄鋼メーカーとして真の再生を果たすことができると思っています。
厳しい時代を乗り越え、これからは前向きな苦労ができる

内藤
経営を黒字化にもっていき、グループ体制を立て直すことができたのは箱守会長の力であり、大きな功績です。私が経営のバトンを引き継ぐと聞いた時、これまでの大変さも、これからの大変さも理解していたので、非常に重い責任を感じました。

箱守
長い間、検討してきた新電気炉プロジェクトと長期計画をいよいよ公表する段になりましたが、新電気炉完成までの5年間にやるべきことは膨大にあります。今こそ、内藤社長にバトンタッチをするタイミングだと考えました。内藤社長とは入社以来の長い縁があり、人柄をよく知っていました。棒線事業の責任者の時代に、大変な苦労をして事業を軌道に乗せたことをよく覚えています。内藤社長が非常に粘り強くお客様を開拓し、事業部をまとめて不採算事業を立て直したからこそ、今では棒線が当社の強みになっているのです。

内藤
私だけではなく、当社の社員は皆、この約10年、厳しい時代の中で踏ん張り続けてきました。それを踏まえると、今回のプロジェクトは前向きな大変さ、夢のための苦労になるので、今までにないワクワク感を持っています。箱守会長がつくり上げてきた中山製鋼所グループの強みを引き継ぎ、さらに大きくしていかねばなりません。
新経営体制でプロジェクトを着実に前進させる

箱守
設備増強は私が社長になった当初から検討していたことで、新電気炉の計画では資金面が大きな課題でした。検討を進める中でも建設費や資材費は高騰し、困難な状況が続いていましたが、かつて事業再生の局面でもパートナーとして支援してくれた日本製鉄株式会社と話し合いが開始され、短期間で合弁会社設立が決まりました。日本製鉄株式会社は当社熱延工場の能力や品質をよく理解されており、その信頼があったからこそ、当社の計画を実現できる形での合意に至ったものと考えています。

内藤
私もベストパートナーだと思いました。デリバリーに関しても当社を高く評価いただき、「中山なら信頼できる」と言っていただけました。

箱守
今後の経営に関しては内藤社長も経験が長いので心配していませんが、当社の現役職員は大規模投資や工場建設の経験が少ないことを懸念しています。私は2000年以前の合理化工事も経験していますから、費用、設計、スケジュールなどのプランをつくる部分を手助けし、工事が走り出すまで責任を持って見届けます。

内藤
ありがとうございます。私自身は、5年後、電気炉が完成した時を見据え、全社が力強くスタートダッシュできるような体制づくりに全力で取り組んでいきます。

箱守
当社は鉄からスタートした会社ですが、今では加工、商社、運輸など様々な機能が有機的に結びついて存在していますので、高品質な製品はもちろん、お客様に満足していただく新たなものを生み出す力があると思います。それを期待しています。

内藤
まさにそれが当社の「新たな成長ステージ」かもしれません。先日、「大阪企業家ミュージアム」を訪れた際に、重工業発展の基礎を築いた人物として創業者・中山悦治が紹介されていました。当社の存在感はそれだけ大きかったのです。かつての存在感を復活させる気持ちで、私もこの長期計画の実現に全力で取り組んでいきます。